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2-4 笑顔に隠された大きな傷(2)

 13,2016 11:06



◇ ◇ ◇

誰にも話すつもりはなかった。
ただあまりにも真剣なオネットに、
彼女から感じる隠し切れない優しさに、我慢していた心がようやく悲鳴を上げたんだ。
「見殺しだなんて・・・本当に?」
「本当と言えば、どうする?」
これは勿論紛れもない事実だった。
嘘をつく必要なんて、意味なんて、何もないのだから。
オネットの様子を見ると、俺に何を言っていいか戸惑っているようだった。
信じられないのだろうか。
しかしそれが普通だと思う。
嫌悪感を抱くなら抱いてくれてもいい。もしそうなら・・・それまでのこと。
悲観的な考えが頭を駆け巡っていると、唐突にオネットは言った。
「・・・分かった、とりあえずは信じるわ」
その言葉に思わず、驚きの声が零れそうになって堪らえた。
何故。信じるというなら、何故そんなに平然な表情をしているんだ。
「話してって言ったのは私だもの。まずはあなたの話を聞かないと」
そう言うと、オネットは俺の両手を包むように優しく握った。
「最後まで話して」


* * *


あの夜のことだけは鮮明に覚えている。
酷い下水臭のする薄暗い部屋で、俺は手足を縛られていた。
周りにも何十人もの人が俺と同じように、身動きが取れないように拘束され、
また布で目元を覆われていた。
唯一目隠しをしていないのは、俺と-隣にいる母だけだ。
だけどそれがいいなんて一概には言えなかった。
見えていても、見えなくても、この狭い世界には不幸しかなかったのだから。

何処か見覚えのある顔をした、細い体つきの兵士が震えながら俺を見ていた。
その手にあるのは血塗られた鋭い剣。
剣先はまっすぐに俺に向いている。
睨むような目に対して俺は何の感情も抱かずに見つめ返す。
言いたいことがあるなら言えばいい。
そう思っているのに、兵士は何も言ってはこなかった。
「此処は何処だ。離せ、離せ、此処から出せ!」
突然右横に横たわっていた男が唸った。
それに反応したのか、左横の男も声を荒げて叫んだ。
「くそ、あの狂った暴君が!!!」
ああ。そんなことを言っては…。
そう思った時にはもう遅かった。
自分に向いていたはずの剣先が離れ、ひゅっと空気を切ったかと思えば、
頬に暖かい液体が飛んできた。
唖然と目線だけを左横向けると、罵声を上げた男は床に倒れ伏せて動かなくなっていた。
首元を切られたのか、血が止まることを知らず、いきおいよく噴き出している。
その血が俺の足を濡らした。
生温かい。
「何たる暴言・・・!王を侮辱するものは、死あるのみと考えろ!」
右横にいた男が見えないなりに状況を悟ったのか「ひぃっ」と声を上げて静かになった。
女達のすすり泣く声が一層強くなった。
この部屋に存在するのは権力が捻じ曲げられた先に生まれた暴力だけだ。
その中には希望なんてものは存在しないのだと息絶えた男を見て思った。
次は誰が死ぬのだろうか。
自分の心が壊れているのにも気がつかなかった。

大量の血を地面が吸い込み、血生臭さに嗅覚が慣れてしまった頃だった。
不意に母が俺の横で、後ろを振り返り儚げに呟いた。
「綺麗ね・・・」
綺麗?
それは、この部屋に広がる世界とはあまりに不釣り合いな言葉だった。
母は穏やかで優しい顔をしている。
俺はゆっくりと母の視線を追うように、そっと後ろを振り返った。
後ろにあるのは無機質な壁、さび付いた鉄格子が嵌められた窓、そして。
はっと息を飲んだ。
「!」
窓の先そこにあったのは、
「・・・・・・月」
満月だった。
一つの曇りもなく眩い光を放った月が窓の向こうで輝いていた。
その月と目が合ったような気がした。
月。月。ツキ。
何も語らない彼女は心配そうに見つめ返してくる。
俺はああ、と息を吐いた。
「・・・・・・っ」
その途端急に悪寒して、体が激しく震え始めた。
がちがちと歯が鳴る。
そこでようやく実感した。やっと理解が追いついた。
ああ、俺は死ぬんだと。
そして思った。死にたくない、と。
こんなところで理不尽に殺されていくのか、俺は。
それはまるで不必要になった玩具のように。
「・・・ねえ、センリ」
横で震える俺を穏やかに母は見つめていた。
「私は此処で死ぬわ」
静かに淡々と、母は小さく俺だけに聞こえる声で囁いた。
「だけど、あなたはまだ死んではいけない。私がそうはさせない」
その言葉に俺は弾かれたように母を見た。
強い光を宿す母の目には、絶望も恐怖も感じられなかった。
俺はすぐに悟った。
母が何を俺見て、何を想い、何をしようとしているかを。
「あなたが生きていてくれることが、私の最後の願いよ」
母は俺に向かってそっと首を下げた。
その瞬間、首元にかかっていたペンダントが俺の前で揺ら揺らと揺れた。
丸く青い宝石の中に、鷲の紋章と小さな花びらが入っている。
以前母の部屋に咲いていたリユウシャの花。
花言葉は、”真実と共に”。
「ごめんなさい、ごめ…なさいっ」
「あなたが謝ることは何もないのよ。どうせ結末は変わらない。 
あなたにしかできないことがある。だからさあ、早く」
俺は母のペンダントを口に加え、母の首から紐を引きちぎった。
そして縛られた手のひらの中へそれと落とすと、ぎゅっと強く握った。
母さん。
「しばらくお別れね」
母は服の中に忍び込ませていた針のように細い刃物を手に持ち、
俺の手首を縛っていた縄を切り始めた。
しかしすぐに兵士がそれに気がついた。
兵士は酷い罵声を上げて俺に目がけて剣を突き出した。
だが遅い。
「この・・・!!」
足の紐はもう解けていた。
直線的に走ってきた男をかわすと、俺は出口に向かって走った。
周りの囚人化した人々は目を縛られ今起きていることも知らずに、ただ己の運命を嘆いている。
その姿を見ながら心の中で何度も謝った。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
此処で貴方達を助けられるのも俺だけだというのに。
扉に手をかけた瞬間、後ろから狂ったような、―否焦ったような兵士の声が聞こえた。
「ここを抜け出すなら、この女の命はないぞ!!!」
俺はぴたりと足を止め、振り返る。
兵士が母の首元に剣を突き立てていた。
だが母はそれに動じた様子はなく、俺に微笑んだ。
「大丈夫。だからもう振り返らずに、行きなさい」
母さん。
俺は本当はあなたを、一番あなたを助けたかった。
自分の死よりもあなたの命を選びたかったんだ。
ごめんなさい。それでも俺が生きることを、どうか許して。
「うああああああああああああああああ!!!」
絶叫すると同時に、俺は扉に手をかけてあの部屋から飛び出した。
残っている記憶はそこまでだった。
ショックからかそれ以前のことも、それ以後のことも覚えてはいない。
ただ、分かるのは。
俺は母の命を代償に今生きているんだということだった。



話をしている内に、オネットの表情は少しずつ曇っていき、
その瞳からは溜めきれなくなった涙が零れ落ちて行った。
「そんなことって・・・」
そうオネットが呟いた一言に、自分でも驚くぐらいの冷静な声が出た。
「確かにあの夜は存在した。
どこの国だったか、いつのことだったか、それは覚えていない。
だけど、あれは紛れもない実在した真実だ」
それはこの心が覚えているから。
時々ふと記憶が蘇っては今体験しているかのような錯覚を覚えた。
そして何度も隣にいたあの男は死に、また何度も母は死んだ。
罪の意識が無限に続いていく。
「でもそれは・・・センリが悪いわけじゃない」
涙で濡れた顔を一生懸命オネットは横に振った。
「だが、見殺しにしたのは事実だよ」
あの罪を許されたいわけじゃない。
過去は良いように解釈してはいけない。
確かに俺が逃げなかったとしても、皆殺されていたかもしれない。
しかし、現に母は俺の命を助けるために死んだ。それが紛れもない真実だ。
「だけど、あなたのお母さんはあなたが生きることを望んでいたんでしょう…?」
「・・・ああ、それは分かってるんだ。
だけど、思えばどうして母を犠牲にしてまで俺は生き永らえたんだろうって思うんだ」
そうして今生きているこの命は、何の意味があるのだろう。
一体何の為に?
こうしてその理由も分からず、ただ時間が流れるままに生きるくらいなら。
「死んでいた方が・・・よかったのかもしれない」
俺は自虐的にそう呟いた。
今まで頭で思い浮かんでは咄嗟に掻き消してきた考えを、初めて口にした。
そして口に出してしまうと、納得してしまいそうな自分にやるせなくなった。
結局これが答えだったというのか?
「センリ」
震えた声でオネットが俺の名前を呼んだ。
そして俺の腕を掴むなり、大声で怒鳴った。
「死ぬなんて言わないで!」
驚いて俺は思わず口を噤んだ。
こんな憤っているオネットは初めて見るかもしれない。
オネットは必死に俺の腕を掴みながら、更に声を荒げた。
「死ぬなんて言わないで。
私、今日あなたが死んでしまったかもしれないって思った時、本当に悲しかった。
もう私にとって、あなたもニックも大切な存在なの・・・!」
感情に任せて必死にオネットは叫ぶ。
「あなたがいなかったら、私は旅なんかきっとできなかった。
沢山あなたに助けられたから、今ここでは私はこうして生きているの」
「・・・うん」
その言葉の一つ一つが、心にすっと入っていくのが分かった。
「そんなことでさえ、あなたが生きている意味になるの!
もし生きる理由が見いだせないのなら…周りを見て、周りの人たちを見て、
そこにはあなたを必要とする人がいる。その人のために生きてもいいじゃない!」
「オネット・・・」
嗚咽交じりに声を荒げながらオネットはそう言うと、不意に俺の胸に顔を埋めた。
縋るようにぎゅっと胸元を掴むと、
「私はその夜のセンリに・・・あなたに!言いたい」
絞り出すように、オネットは言った。
「生きることを選んでくれて、ありがとうって・・・!」
「・・・っ!」
俺は、はっと息を飲んだ。
心が大きく震えたのが分かった。― そして気づく。
そうだ。俺は、罪を許されたかったわけじゃない。
今生きている”自分の存在”を誰かに許されたかったんだ。
”生きることを選んでくれて、ありがとう”
オネットが俺の生を受け入れてくれた。許してくれた。
俺の中にあった感情の塊が溶け始め、すっと淀み流れていた後悔が抜けていく。
あれは過ちではなかった?
この命はあそこで消えなくてもよかったのか?
頬を熱い何かが滑り落ちていくのが分かった。

”あなたが生きていてくれることが、私の最後の願いよ”

救ってあげられなかった大切な彼女のあの言葉を、
今なら素直に受け止められるような気がする。
ああ。俺は、生きていてもいいのか?
「オネット、」
胸元を掴んで泣いているオネットにそっと手をまわし、強く抱きしめた。
華奢な小さな体だった。それなのにとても温かくて-。
彼女の手が背中に回り、俺を受け止めるように抱きしめ返した。
俺は目を瞑る。
「・・・・・ありがとう」


やっとあの夜を乗り越えられた気がした。
そう、今までずっとまだあの暗い部屋の中に俺はいたんだ。
そしてそこから俺を出してくれたのは母さんと、そしてオネットだった。
母さん、俺は生きるよ。
そしてあの時救えなかった命のかわりに、
守れるものは、決して諦めずに全て守ってみせるから。

俺はもうあの夜選んだ道を、後悔したりしない。

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