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4-1 前夜(1)

 05,2016 22:05



あなたの愛を守りたかった。


第四章 最愛の人


1


森の中を私は王子と一緒に走り抜けていた。
先頭を行くのは彼で、時々振り返っては悪戯に私に微笑んだが、
体力のない私が遅れ始めると、優しく歩みを止めてくれた。
木漏れ日が私達の進む道を照らす。
暖かな春の日だった。
走りながら私はこれが"夢"であることに気づいた。
しかしこれは夢であると同時に、私の"過去"でもあった。
そうだった、私は王子とこんな風に過ごした日があった。
そう思って懐かしんでいるとくるりと視界が回転した。

前を見ていた視線は気が付けば、澄んだ空の青色だけを捉えていて、
お尻や腰にずきんと鈍い痛みを感じた。
ああ、そういえばあの時私は木の幹を踏み外して転んでしまったのだ。
情けなさと恥ずかしさから起き上がれないでいると、
私の目に映る空の中に、彼の心配した顔が飛び込んできた。
「大丈夫・・・?!」
私は苦笑いをしながら、地に仰向けに寝そべったままで頷いた。
王子は私の頭の後ろ、首のあたりに手を入れてそっと私の体を起こした。
その動作に少しどきっとしながら、
私は自分の体をぱたぱたと叩いて、服についた土を払った。
「ごめん、僕が速く走りすぎたから」
申し訳なさそうに言ってくる彼があまりにも優しくて、私は慌てて首を横に振った。
「違うの、私が鈍いからよ」
普段城に閉じこもっていることが多く、もちろん簡単な体術は教えられたけれど
元から才能はなかったらしく、運動ができるとは冗談でも言えなかった。
そして幼いながら、私はそんな悲しい自分の運動音痴を理解していた。
だからそう言ったのだけれど、王子は表情を変えない。
「いや、君は鈍くない。僕が悪かったんだ」
困ったな、と私は心の中で思った。
王子は絶対に何があっても私を責めたりはしない。
どうしてそこまでできるの?と思ってしまうほどに、優しいのだ。
そして今のような状況になると、絶対に折れない。
…だけど折れることができないのは私も一緒で。
「違うわ。私のせいよ」
「それは違う」
「私のせいよ」
しばらくお互いの顔を見つめずっと言い合っていたものの、とうとう決着がつかなかった。
その代わり、どちらからともなく笑い始めてしまったのだ。
王子からだったか、私からだったか、もしかしたら同時だったかもしれない。
私たちは声を上げて笑った。
「君ってやっぱり素敵だ」
「それはあなたも」
また言い合いが始まりそうになり、王子は私の唇に人差し指を置いてそれを止めた。
思えばいつから私は王子を愛するようになったのだろう。
初めて出会った時から、自然と私は彼に惹かれていた。
しかし始めそれは、同じ立場の者への好意という方が正しかったはずだ。
それがいつの間に愛へと代わっていったんだろうか。
その境界線は今も、これからもきっと分かることはないと思う。
「ねえ、」
ただ言えるのは、この時点ではもう私は彼に「愛」を抱いていたということ。
そして自惚れではなく、彼もきっと私を大切に思ってくれていた。
とても幸せな時だった。
「―― 目を閉じて」
少し真剣な目をした王子に幼い私はきょとんと首をかしげる。
「どうして?」
ほんのりと王子の顔が赤いことに、この時私は気づいていなかった。
彼は少し考えたように「うーん」と可愛く唸ると、そっと言った。
「可愛い花を出してみせるから」
「・・・魔法!?すごいすごい、分かったわ」
私は嬉しくなって素直に目を閉じると、両手をお皿のようにして彼の方に差し出した。
「これでいい?」
その瞬間、くすっという小さな笑いが聞こえ、私の手はぐいっと前へ引っ張られた。
「・・・っ」
頭の後ろを優しく触られたかと思えば、唇に柔らかな感触をして私は驚いて目を見開いた。
そして目を開けると開けるで更に驚いた。
視界いっぱいに広がる彼の綺麗な顔。
綺麗な男の子にしては長い睫が見えて、私は一瞬何が起きているか分からなかった。
だけど体をぎゅっと抱きしめられて、やっと彼との初めてのキスを実感した。
彼がうっすら目を開けて、少し唇を離した。
「ごめん、我慢できなくて・・・嫌だった?」
彼の優しい吐息が頬に触れた。
なんだか体が熱くて、頭がぼうっとしているのを感じた。
まるで白い雲の中にいるようなふんわりした空気の中で、私は目を閉じた。
「ううん。すごく素敵な魔法だわ」
「・・・君って子は」
その言葉はそれ以上は続かなかった。
再び唇が重なり、私は彼の腕の中で、ただ彼の温かさを感じていた。
(-私は王子を愛していた)
幸せだった。本当に本当にずっと大切にしたい思い出だ。
だけど、私は気づいてしまったの。
私はセンリを愛しているの。
どうしたら許してもらえるだろう。
ごめんなさい。
「イズミ、ごめんなさい」
心の中で呟いたはずの言葉は、いつの間にか口から零れ出てしまっていた。
はっと私は口を噤んだ。これは過去にはなかった、今の私の発言がどうして出てしまったのか。
目の前の幼い王子が「ごめんなさい」の意味が分からなかったのか、澄んだ目で私を見た。
過去の彼に言っても意味ないのに、思い出を壊したいわけじゃないのに。
何かいい言い訳がないだろうか。
そう思っていると、王子が口を開いた。
身構えていた私は予想と違う言葉に体を固くした。
「・・・イズミって誰?」
時が止まったように、私達はお互いを見ていた。
誰ってイズミはあなたでしょう?
「何を言っているの・・・?」
率直にそう聞いてみると、彼は困ったように眉を下げた。
「僕は、イズミなんて人を知らない」
彼が嘘をついているように思えなかった。
するといきなり体が後ろへ引っ張られる感覚がして、視界が遮断された。
夢の世界はそこで途切れた。



◇  ◇  ◇



最後に会ったのは二週間も前になる。
彼らのことを考えなかったわけではないし、勝手に城を出て行ったことを
申し訳ないと思う罪悪感は、心の片隅にずっとあった。
そっと瞼を開くと、ぼんやりとした人の形が見えて私はゆっくり瞬きをする。
やがて見慣れた天井や、自分を見守る幾つもの心配した表情が鮮明となっていき、
ゆっくりため息をついた。
此処は私の部屋だ。
「ああ!よかった!姫様!」
初めに声を上げたのは、姿を捉えなくてもローザだということがすぐに分かった。
ローザは多くの人を押し退けて、私が横たわるベッドの傍に屈みこむと私の手を優しく取った。
「目を覚まされなかったらどうしようって・・・そんなことばかりを」
彼女の目からぽろぽろと涙が滑り落ちていく。
それは私の手の上で、ぽたっと落ちた。
私はすぐに声を出せなかった。言葉が詰まって、出てこないのだ。
ゆっくり周りを見回すと、ローザと同じように涙を流している者もいれば、
太陽のように眩しい笑顔で私を見ている者もいた。
その中で眉間に皺をよせ、必死に泣くのを堪えている姿を見つけた。
胸がずきんと痛み、私は思わず上半身を起こす。
「レヴァンス・・・」
彼の名前を呼べば、レヴァンスは目を閉じた。
拳を強く握りしめすぎて小刻みに震えている。
そして長い沈黙の末、彼は大きなため息と共にその言葉を吐き出した。
「姫様、おかえりなさいませ」
私は口元を手で押さえた。
じんわりと熱いものが目の奥で私を責めていた。
ごめんなさい、勝手に出て行ってしまって。
すごく心配したでしょう、怒っているでしょう。
でもあなたはそう言ってくれるの?何も知らないはずなのに。
私は体に掛かっていたシーツを握りしめると、レヴァンスを見て声を絞り出して言った。
「ただいま戻りましたっ・・・!」
涙で視界が滲んでいたが、レヴァンスが頷いてくれたのが見えた。
ああ。
もう皆にこんな迷惑を、心配をかけてはいけない。
もう私は、私を愛してくれている者を裏切らない。
こんなにたくさんの人が、私を愛している思いをもう決して―。
トントントン。軽いドアを叩く音が、聞こえた。
レヴァンスは涙を乱暴に手で拭うと「どうぞ」と努めて落ち着いた口調で言った。
部屋のドアが開かれる。
私もそちらに視線をやり、そこにいた人物に驚いて目を見開いた。
「・・・・・・!」
入ってきたのは、イズミだった。
どうして?どうして、此処にイズミが・・・?
そう思ったのも束の間、私は意識を失う前のことを思い出した。
そうだ。彼と森で会って、自分の正直な気持ちを伝えた。
その後知らない男の人が私の腹部を殴って―・・・。
イズミが・・・此処に私を連れてきてくれた?
しかし、何故。
腑に落ちないことが沢山ありすぎて、相当困惑していた顔をしていたらしい。
レヴァンスとイズミは笑った。
その笑みも、私には理解できなかった。
そして私は自分の置かれている状況をまだ知らなかった。
「・・・驚かれたでしょうか。彼はナオリオ国の王子、イズミ様です。
と言っても姫様なら十分御存知でおられるとは思いますが。
お二方が森で会っていたことはイズミ様より聞きました」
「・・・!」
「初めは私も驚きましたが、今となってはなんという幸運な運命にあったんでしょうか。
そして森で倒れていたあなたを見つけて連れてきてくださったのはイズミ様です。
感謝しても仕切れないですぞ」
レヴァンスの言葉に私は思わずイズミを見た。
違う、森で倒れたのを見つけたんじゃない。
私は倒れる前に、確かに彼と話をしていた。
イズミは何故嘘をついているの?…いえ、違う。
そこで私は気づいた。あれが、イズミの仕業であったということに。
イズミは一度私に微笑むと、レヴァンスに視線を戻した。
「・・・いえ、僕は約束を果たしたまでです」
「約束・・・?」
二人は私を置いて話を続ける。
この会話が何処に向かっているのか私は想像もできなかった。
レヴァンスが嬉しそうに、しかし真剣な瞳でイズミに言った。
「イズミ様のおかげで、無事に明日を迎えることができます」
「・・・明日を楽しみにしていますよ」
得体の知れない恐怖を感じて私はおそるおそるレヴァンスに聞いた。
「明日・・・って何があるの?」
聞かないわけにはいかなかった。
だけど、聞いてしまったことを此処まで後悔したことはなかったように思う。
「明日は姫様の誕生祭ですよ。
本当はお体のことを思えば無理して頂きたくないのですが、
今年ばかりはどうか民を思い、誕生祭に参加して頂きたいのです」
「・・・どうしてそこまで・・・?」
祝ってくれるのは純粋に嬉しいと思った。
だけど、ここまで言われるのには絶対に何か理由がある。
レヴァンスはその理由を隠すことはなかった。
「誕生祭にてオネット様、イズミ様の婚約の儀を執り行いのです」
婚約。
私の頭は真っ白になった。今なんて言ったの?
「私が・・・イズミ王子と?」
そんな。
私はイズミじゃない、センリを愛しているのよ、
イズミと婚約なんてできるはずがない。
そう思った私は、しかし自分を見つめる幾つもの家臣の喜びに溢れた目に気づいた。
皆が祝福してくれている、まるで自分の事のように。
希望に満ちた視線が、酷く切ない。
私は。
”私は、私を愛してくれている者を裏切らない”
部屋の中で交わされる祝福の言葉がまるで騒音のようにぼんやりと耳を通り抜けていく。
言えない。言えるはずがない。
私はもう、彼らを裏切れないのだ。
「・・・・・・・・・」
イズミは変わらず微笑んで私を見ていた。

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